2002.12.28〜30
「コ」63号作戦
0630起床、駅前のドトールでぼんやり朝飯を食い、新幹線で普通に上京。いつも荷物を放り込んでいる東京駅銀の鈴広場コインロッカーは全滅、手荷物預かりを利用するが、場所が変わっていて思いっきり通り過ぎる。なんかよく見るとロッカー潰して店舗にしている。
東京駅前に新しくできた丸ビルを見物に行く。なんと!この丸ビルでは「マルビルの角で待ち合わせ」というネタが使えません。来場者をバカにしています。
毎度の事だが、東京では食い物に困る。まあ、駅前一等地に建つビルのテナントなんて値段がベラボーなのはわかっていたとして、普通500円くらいしか使わない私にとって、昼飯に1500円も使うのはさすがに痛い(美味しかったけど)。今回食費がえげつないコトになるのが避けられないのは夏の段階から決まってたとは言え、やはり納得が行かない。首都圏では「最悪、駅そばでいいや」ができないのが辛い。(だしが口に合わない)
さて、りんかい線と埼京線が直通運転を行っているのだが、東京駅からなら普通に京葉線回りのほうが早いので、そっちから行く。10両とか6両とかで輸送力が倍以上に跳ね上がったせいか、昼過ぎで車内は空いている。国際展示場駅も、混雑しているというほどのものでもない。M-1特設会場も大した規模ではなかったので、これならなんとかなりそうだ。
早速イニD方面を襲撃するが、入場時間が遅かったせいか完売・撤収したサークルもちらほら。これは仕方がないにしても、配置場所のチェック表が思いっきり間違っていたため辿り着けないサークルが半分近くに達したのはあいたたたたた。しょうがないなーと半泣き半笑いで会場をあとにする。
→何度見ても逆。
お台場まで徒歩で、そのへんを目的もなくブラブラ。珍しくガイドブックなどを買って下調べしておったのだが、雑貨屋などを見てまわるだけで、ケチな私は結局ビタイチ金を落とさずに東京テレポートからりんかい線に乗る。
しかし…1530と言えばビッグサイト周辺は帰りの混雑もピークにさしかかろうとする頃であるにもかかわらず、先頭車はわりと空いていた。10両編成の輸送力に感心するも、単にコミケ来場者が例年になく少なかったことを知ったのはこれより少しあとのお話。
その後、ひさびさに高輪アンナミラーズでお茶。うーん、ちちはいいが他も大きめということで、堪能とまでは行かなかったが…二人でお茶とパイで2,500円。ぐぅ…
東京駅で荷物を引き取り、新宿のつばめグリルでハンバーグとロールキャベツをいただく。玉ねぎを丸ごと一緒に煮込むのはどうかと思うぞ。美味いけど。
2日目
朝からいきなり恵比寿ガーデンプレイスを攻める…が、早朝からやっているはずもなく、ひなたにあるベンチでぼんやりする。昼ごろまでうだうだとムダな時間を過ごし、イタリア料理の店で昼飯(…やっぱり高い)食って、浜松町の東京タワーへ。気分はすっかりお上りさん。高いところが苦手な私は、ルックダウンウィンドウに立つことすらできず。それでもさらに上の特別展望台へ行ったのは、ひとえに「煙を同じ」だからだろう。
本日M-1開催ということで国際展示場駅がどんな状態になってるかわからないため、とりあえず避けておくということと、気分を変えることもあって強襲揚陸艇(水上バス)をチョイス。東京タワーから日の出桟橋へ徒歩で向かう。いまからビッグサイトへ向かう酔狂なヤツは少数、ということで船内の乗客はまばら。すれ違う帰りの便は、どれもこれも満員だったのが印象的。西日が強いが、こういうのも悪くない。
入場が閉会間際になるのはわかっていたのでチェックらしきものはほとんどしていなかったのだが、それでもダメもとで回ったらやっぱりダメだった。そりゃそうだ。
そもそもこんな時間に来たのは前日搬入のためだったのだが、ここにきて今日知人に渡すはずだった新刊と作業員証、翌日分のサークル通行証など「今日持って行くものケース」ごとホテルに忘れてきたとこに気がつく。ここに来たこと自体が無意味になってしまったが、だからと言ってほおっておくわけにもいかないので、通行証だけでもホテルへ取りに戻る。
北戸田戸田戸田公園でレンタカーの支援部隊と合流、馬車道で翌日の打合わせ兼夕食。うーむ袴も悪くはないが、料理も悪くないという程度か。いわゆる普通のファミレスであった。
北戸田戸田戸田公園へ送ってもらったが、馬車道にきっぷ類が全部入った定期入れと、即売会専用財布(小銭でいっぱい)を忘れてきてしまったので、もーしわけないが支援部隊に取りに行ってもらう。今回わすれもんばっかしである。取りにいってもらった時に中身の確認をしたそうだが、店員にひとこと「有明ですか」と言われたそうな。ああそのとおりさ!申込書セットを入れても5000円ほどしか使わないけどな!
埼京線で新宿までスルーして、ホテルでさっさと寝る。
3日目
0500起床。さっさと身仕度を済ませて近所の吉野家で牛鮭定食けんちん汁という最高級メニューをいただき、コンビニでゼリー飲料などの薬物と水分補給用の茶と紙コップを購入。「朝はやっぱりコーヒーでしょう」と新宿駅構内のドトールでテイクアウト、中央線の電車内でズルズルとすすってみたり。
新宿からなら最強の埼京線・りんかい線直通最強快速新木場行きなら最強最速25分なのだが、現場にデカい荷物を持ち込みたくないというわがままで東京回り。結局いつもと変らないのである。りんかい線が周遊きっぷのエリア内に入ったので、自動改札でも手改札でもノープロブレム。モトを取ったかどうかとなると、かなり微妙なんだが。
さてこのあと準備、開会となるワケだが、やはり来場者がいつになく少ない。ピーク時間帯である11〜13時頃でも、外周通路が普通に歩けるというのは3日目ではあまり見たことがない。実際、一般入場も12時すぎにフリーになったとかで、どこをどうつまんでも来場者が少ないことを裏付けるデータしかでてこない。ウチの売上も下り勾配を抑速ブレーキを効かせながら下っており、いよいよ同人界にも不況の波がやってきたということにする。都合の悪いコトは、不景気とロストテクノロジーのせいにしておこう。
閉会後、残部搬出ののち夕食兼今後の打合わせ。まえにオムライスとご飯を注文し、デジカメを忘れてきた因縁の場所である。打ち上げも兼ねて「生中!」と頼んだのはいいが、ここの生中はどう見ても大ジョッキ。まあいいやと全部飲んで、先発組の出雲を見送った後、銀の鈴広場でサンライズゆめを待つ。
ここで印象的だったのは、地べたに座り込んだり寝転んだりしているのは、酔っぱらいのおっさんと否定するコト自体が難しいコミケ帰りの連中とだけだったこと。酔っぱらいはほおっておくとして、ベンチが空いても座りに来ないあの連中、昨今の若者の無軌道ぶりを指して、識者が「非常識ではなく無常識」とはよく言ったものである。
2200、サンライズゆめ入線。京都まで6時間という寝台を取るにはもったいない所要時間だったので、ダメもとでのびのび座席に指定を取ったのだが、これを幸運というかどうかは微妙である。アルコールが入り三半規管がほろ酔い加減なところに、上段席に襲いかかるヨーダンパ非装着ボルスタレス台車のしなるような揺れ。かつ、京都到着0443と車内放送も期待できない中での起床というプレッシャー、目覚まし代わりにイヤホンの繋がった携帯電話からの容赦ないメール着信音、連日の睡眠不足と疲労が重なり、京都到着前にしっかり気分が悪くなってしまう。列車を下りた時の顔は、きっと戦地から潰走してきた敗残兵のようだったに違いない。それでも駅からタクシーを使わずに自宅まで30分歩いたのは、まだそれだけの元気が残っていたのか、それ以上にケチだからなのかは知る術はない。そのままふとんにもぐりこみ、昼まで寝る。
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